Blogブログ

緩和ケア診療所・いっぽの萬田緑平先生の講演を聞きました。
とても考えさせられました。

私は、なぜヨーガをしているかと言うと、
「死ぬまで 、心身が自分のものであって欲しい。
自分で自分をコントロール出来ていたい」からです。

けれども、萬田先生の講演を伺って、
まだまだ私は考えが浅く甘いと思い知らされました。
誰もが自分は延命治療されたくないと願うけれども、
実際に自然な死を迎えられる人はほとんどいないのが現実だそうです。
4%くらい、残りは苦しい死ということです。

実は、以前私のヨーガのクライアントさんで、自宅療養中のお母様が緊急入院された方がいました。
「母がすぅーっと意識を失って、死ぬところだったんです。
救急車で運んで、一命を取り留めたんです。」
と話されました。
私はその時、『もしかしたら、そのままお見送りした方が良かったのでは?』と思いました。
でも

、とても口には出せませんでした。

その後その方のお母様の闘病生活と介護が始まりました。
そして、その方は介護と看病が大変になっていくことを嘆いていらっしゃいました。
ついには、ヨーガにもいらっしゃらなくなってしまいました。

萬田先生は、

、死を飛行機に例えられ、機体に問題が生じたとき、
現在主流の延命後の死は、あらゆる手を尽くして機体を立て直し、
遂には墜落するようなものだ。

自然に任せてソフトランディングする死は、穏やかである、とおっしゃいました。

けれども、その判断をどの時点で誰がするのか、本当に難しい問題です。

日本人の寿命が世界一なのは寝たきりの期間が長い。
海外では不自然な延命をしない。
とよく聞きますね。

どうして日本はこんなことになっちゃったのだろう?
誰も自分では、不自然な延命を望んでいないのに。

 

実は、私は以前からとても不思議に思っていることがありました。
それは、映画などで、キリスト教徒の方々が臨終に際して牧師さんや神父さんを呼んで祈りを捧げられることです。
まだ、意識があるうちに祈りを捧げなければならない。
つまり、お医者さん、家族、本人がもうすぐ臨終だと理解し、受け入れている、ということです。
死を迎えた本人が、意識があるうちに死に際しての祈りをすることがとても重要、
この観念があるから、不自然な延命、止め処ない延命に暴走しないのではないのではないか、
そんなふうに思えてきました。

ヨーガを学ぶ私たちは、自らの魂の解放を心得ています。
自分の命を終える時、ソフトランディング出来るよう様々な面から備えていきたいものです。

穏やかな死に医療はいらない